働く女性のホンネ Vol.6
~選択的夫婦別姓制度~

働く女性のホンネ Vol.6<br>~選択的夫婦別姓制度~

突然ですが、皆さんは結婚後に苗字が変わってしまうことについて、どのように感じていらっしゃいますか?
既婚の方は、苗字が変わってしまったことで仕事に影響はなかったでしょうか?
わたくし吉岡は婚姻後も旧姓のまま仕事を続けていますが、企業によっては戸籍上の氏名しか許されないところもありますし、転職によって婚姻後の姓で就業されている方もいらっしゃるのではないかと思います。

今回は、本当は旧姓を使いたいのに!という想いをお持ちの働く女性の気持ちを代弁しつつ、いつまでたっても“夫婦別姓”が認められない、この日本の状況をぜひ皆さんにも知っていただきたく“夫婦別姓”についてお伝えしたいと思います。

私が旧姓で仕事を続けている背景には、これまで20年近く営業として仕事を続けたことで、旧姓なら私を認識してくれるだろう方々がたくさんいらっしゃって、そういった人たちとつながるためのキーワードとなる旧姓は残しておきたいという想いがあったからです。

私の場合は、“営業”というこれまでのキャリアが姓の変更とマッチしないという現状があったのですが、営業以外にも独身時代に“論文”という形で成果を残していらっしゃる研究職やMSLに携わる方にとっても同様のジレンマがあるのではないでしょうか。
加えて、ますます広がっていくSNSやバーチャルの世界においても、姓が変わることで同一人物であるという認識が薄くなってしまうのではないかと思うのです。私の場合、LINEで電話番号から推奨される友達は恐らく同級生なのですが、姓が違うため本当にあの子のこと?と確証が持てないことがあります。

そんなキャリア上の背景があり、独身の頃から結婚して姓が変わるのは嫌だなぁ、と思っていたのですが、世の中は男女平等、個人を尊重する時代に変わってきているのだから、そう遠くない未来に別姓を認める法律に変わるだろう、と信じていました。

しかし!現実はそう甘くはありませんでした。そう遠くない未来に・・・と思い始めて十数年がたった今でも、夫婦が別姓で名乗れる気配はありません。幸運なことに、私は旧姓のまま仕事をさせてもらっていますが、戸籍上はもちろん主人の姓です。仕事の姓と戸籍の姓が違うというのは、なかなか不便なものです。

いつかは法律が変わってくれるだろうと指をくわえて眺めているだけではいけない、想うだけでなく行動にも移さなければ!と思い立ち、結婚してからは、選挙の度に公約に“夫婦別姓の法制化”と書かれた候補者を探して投票。衆院選と同時に行われる最高裁裁判官の国民審査では、夫婦別姓を認めない現行制度を「違憲ではない」とした裁判官に×を記するなど、できる行動はおこなっていますが、なかなか現実は動いてくれません。

ちなみに、前回のブログでは世界の産休・育児制度についてご紹介しましたが、この“夫婦別姓”については世界での日本の状況は全く逆のようです。
”夫婦同氏制”と呼ばれる日本の婚姻制度では「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と民法で規定されています。そのため、婚姻した夫婦が別々の氏を名乗ることはできないのですが、先進国でこの”夫婦同氏制”を採用している国はありません。
加えて、2020年11月の参議院予算委員会では、当時の上川陽子法務大臣が「夫婦の同氏制を採用している国は、我が国以外には承知しておりません」と法務省による調査をもとに答弁しているほどです。
また、日本では婚姻時に夫の性を選択している割合が96%であることに対し「女子差別撤廃条約に違反している」と国連から何度も勧告を受けている状況なのです。
育児制度については制度面で先進国1位という素晴らしい功績でしたが、“夫婦別姓”に関しては最下位状態といってもいいほどです。

いったいいつになったら場所を選ばず旧姓を名乗れるようになるんだ、と落胆していた時のこと、当時5歳の娘がこんなことを言いました。

「パパは○○○○(パパの姓) XXXX(パパの名)だから8コ(文字)でしょ」
「ママはヨシオカ(旧姓)▲▲▲で7コだね」
「●●●(娘の名)は○○○○(我が家の姓)●●●(娘の名)で7コだから、ママと一緒だね~」
と言ったのです。

娘は単に名前が何文字で構成されているかを考え遊んでいるだけでしたが、主人と私を何ら違和感なく別姓で捉え、自然なこととして受け入れていたのです。
これは私にとって大きな衝撃でした。

そもそも、娘が私を旧姓の吉岡で受け入れている背景には、コロナ渦で保育園が休園となり娘の隣で在宅勤務をしていた際に、私が仕事の電話やオンライン会議で旧姓を名乗っていたこと、園再開後も娘の帰宅後に私が仕事で旧姓を名乗っていたところを耳にする機会があったからだと思います。
ただ、そういった環境下とはいえ、父と母が別姓であることに何の疑念も抱かず、それを自然のこととして受け入れていたことに驚かされました。

“選択的夫婦別姓制度”の反対派からは「夫婦別姓では家族が一体的でなくなる」、「両親の姓が違うと子どもが困る」、といった意見があるようですが、私はそんなことは全くないと思います。現に、日本以外の国では夫婦が別姓でも問題なく社会は動いていますし、私の実体験からも、物心ついた時から両親が別姓で生活していれば、子どもは何ら違和感なく受け入れることができています。

なぜ「夫婦別姓では家族が一体的でなくなる」、「両親の姓が違うと子どもが困る」という意見が生まれるのか。それは、子どもがそう感じるからではなく、社会が子どもにそう感じさせるからではないでしょうか。社会が“夫婦別姓”をそういう価値観で捉えていて、その価値観のもとに子どもに接しているからそういった意見が出るのだと私は思います。

もし社会が、“結婚する前は出生の異なる人間なのだから両親の姓が違うのは当然のこと”、“結婚しても夫婦を一括りにしてしまうのではなく、異なるひとりの人間として尊重する”、といった価値観で夫婦を捉えることができる社会であれば、“夫婦別姓”は子どもにとって負のものではなく、個が尊重される社会であるという安心感を与えるものにさえなるではないかと感じます。 古い夫婦・家族の在り方を踏襲するのではなく、個が尊重される現代における夫婦・家族の在り方はどうあるべきかを考え、夫婦別姓のネガティブな面だけを見るのだけでなく、ポジティブな効果にも視点を移し、社会全体で”選択的夫婦別姓”が広く議論されることを願います。

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